【言語一般】言語の構造『記号としての言語』

Chào buổi sàng mọi người! はいさい🌊ソムタム娘です。

Hôm nay trời nóng quá nhỉ.  今日はとても暑いですね。

Hôm nay cũng cùng nhau học tiếng Nhật cố gắng nhé!

 

今日はこれから午前中、ワクチン接種に行ってきます。モデルナ製を摂取した人に聞いたら、摂取した夜から39度以上の熱が出たそうです。

個人差はあると思いますが、発熱したら明日は外に出られない可能性もあるので、しっかり食料(熱があっても食べれそうなもの)も買い込んでこようと思います。

明日また結果を詳しく報告します!

 

今日は日本語を言語学という視点から勉強していきたいと思います。

因みに言語学とは「人が話す言葉」を扱う学問なんだそうです。今までの文法の勉強とは違って・・・少し小難しいイメージ;^_^A

言語とはなんでしょう?

人間はコミュニケーションをとる際に言葉を発したり、身振り手振りすることで相手に何かを伝えようとしますよね。言語とはは、このコミュニケーションで音声を媒介手段として意味を伝えることなんです。また文字も同様です。

一般的には音声が一次的なもので、文字が二次的なものとして考えられています。

 

それでは早速~📚

 

 

 

記号の恣意性

 

記号とは何かしらの情報を伝達するためのものですが、記号には表示手段表示内容の二つの側面があります。そして言語もこの記号の代表的なものです。

 

能記と所記

一般的に記号は能記(シニフィアン所記(シニフィエの結合したものと考えられています。

能記:人間が知覚することができる「もの・こと」

所記:「もの・こと」の観念(意味・内容)

そしてこの「能記」と「所記」には恣意性があると考えられています。どういうことかというと。。。

例えば日本では「青(あお)」としている色を、アメリカでは「blue(ブルー)」と呼び、タイでは「สีน้ำเงิน(シィーナムグン)」と呼びます。

このように言語記号も音声という表示手段(能記)意味という表示内容(所記)の関係に必然性がないことにはじめて注目したのが言語学者ソシュールです。

ソシュールはこれを「記号の恣意性」と呼びました。

 

言語の社会性・「ラング」と「パロール

 

上記で、言語の記号が音声の意味との恣意的な結合で成り立っていると書きました。

それでも私たちが意志の伝達ができているのはなぜでしょう?ソシュールはその理由として「社会がその記号に価値をあたえている」と考えました。

例えば千円札はたとえ新札であろうとボロボロに古い千円札であろうと、千円としての価値は同じです。これはその価値に対して社会的合意があるからです。

言語も同様で、大きい声で「千円」と発音しても小さい声で「千円」と発音しても言語の記号としての価値は同じで、一定の意味を持って、いつ、どこで、誰が、どのようにその記号を使用してもその価値に変化はありません。

ソシュールは、この個人差も場面差もない抽象的な言語体系を「ラング」(記号の社会的体系性・規則性)と呼びました。具体的には特定の共同体で使用する言語で、互いに共通に存在を認めている文法であったり語彙、音素等のことです。

それとは反対に、いつ、どこで、誰が、どのようにその記号を使用したか、その結果どのような実質的差異が生じたかという面から見る場合ソシュールパロールと呼びました。これは個人によって特定の場面で使用される、実際の言語行動のことです。言い間違いなどもその一つです。

 

記号と時間「通時態」と「共時態」

 

時間と共に移りかわっていくのが人間社会です。

言語も人間が社会で使用するもののひとつであり、社会の変化に合わせて変わっていきます。

ソシュールはこのような記号を時間という軸に当てはめて、その変化に注目していく研究を「通時的研究」と呼びました。またその側面を「通時態」と言います。

それとは対照的に時間の軸を一定の点に固定して、その時点に存在する記号の体系に注目していく研究を共時的研究」と呼びました。その側面を「共時態」と言います。

現在は人間の言語能力を解明していくことが、言語学の目的とされるようになり、共時的研究の方に重点を置いているようです。

こうやって今現在も言語を研究している方々が居るんですね。。。

 

言語の生産性

 

動物の世界にも言語に近い伝達方法があると言われています。しかし情報の伝達という上で人間の言語と比較すると、動物のものは有限であるのに対し、人間の場合は無限であると考えられています。

人間は初めて目にする文でも読むことが出来るし、理解することも出来ます。このことを人間言語の「生産性」と呼びます。そしてこの生産性が可能なのは、人間言語が細かい「分節」という単位に分けられるからです。

 

言語の二重分節性

 

言語の文節とは「音素」形態素という二つのレベルに分けることができます。

音に関しては「音素」と呼ばれる単位に分けられ、音素自体「意味」は含まれません。それに対し意味を持つ最小単位として分けられるのが「形態素です。

 

音素としての分節

人間の音声は有限だけれど、言語は音素を用いて無限の内容を伝達することができます。またそのことが大きな特徴です。

この有限な音素をという最小の記号を一定の方法で結合させ、「語」という記号としての最小単位を作りだしています。このように音声は音素として分節されます。

 

形態素としての分節

音は音素として分節されてもそれ自体は意味を持ちません。

人間言語は意味の上で形態素として最小単位に独立して分節することができ、その形態素の組み合わせにより無限の文を作ることが可能になります。

 

まとめると・・・上記のように言語は、「文」を最小単位に分割すると「形態素に分けられ、意味を持つ最小単位の形態素」が更に「音素」に分割されるというわけです。

このように言語が二重構造を持っているということを「アンドレ・マルティネ」によって指摘されました。

例えば日本語の[ki](木、気)という語は、語としてはこれ以上分解できません。しかし音素として[k]、[i]の二つに分解されて、このような言語において音声と意味とがそれぞれに分節して音声が語の構成要素になり、語が文の構成要素となる関係を「言語の二重分節」と言います。

 

言語の体系と構造

 

言語を二通りの視点から見た考え方です。

 

範列的関係(連合的関係)

ひとつの文を例にとってみます。

「この本はおもしろい」という文は「この」「本」「は」「おもしろい」という4つの要素から成立しています。この4つが線条的に配列されていますが、それぞれの品詞ごとに置き換えることも可能です。(意味はかわりますが)

「この」は指示詞なので変わりに「その」や「あの」に置き換えることもできます。

このように「この」に対して「その」や「あの」が一定の意味の対立を持て「この」と同じ使われ方をする関係(置き換え可能な関係)を範列的関係(連合的関係)と言います。

 

統合的関係(連辞的関係)

上記の関係に対して、「この本はおもしろい」という文を「おもしろいこの本」という並べ換えはできても、「おもしろい本この」という配列は不可能です。同じようにsonoという音の配列は可能であっても、koreにするのは不可能です。

このように言語の要素間において、線条的に結合できるかどうかという関係を統合的関係(連辞的関係)と呼びます。

 

 

過去問・「言語の構造」について出題されたもの

 

平29 -Ⅰ問題3-(17)

言語の二重分節性についての問題です。

正解は、1番。上に書いた通りです。しっかり言語に関する専門用語の意味を理解しておくことが大事ですね。

 

平29 -Ⅰ問題3-(19)

言語の生産性についての問題です。

正解は、3番。上に書いた通りです。

 

令和1-1問題3-(6)

ソシュールの「記号の恣意性」についての問題です。

正解は、2番。上に書いた通りです。

 

 

最後に・今日のひとコマ

 

那覇・「タマニ・カレー」

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無性にカレーが食べたくなるときってありません?カレーのスパイスは身体も心も元気にしてくれる気がします。

このお店は那覇の前島にある、カレー屋さん「タマニ」。

少し前に初めて食べに行ったんですが、激うま!です。創作系カレーっていうんでしょうか。周りの副菜がとてもステキな仕事をしてくれています。

とにあく美味しい!食べ終わるのが悲しい!(笑)

このときは何故かカレー立て続けに食べている時期でした。

 

オススメですよ~。

www.watashinoarukikata-diary.com

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます🌺

それではまた!

 

2021年8月